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「くるまの娘」宇佐見りん著【名文】15ヶ所と感想

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くるまの娘宇佐見りん著を読んだ。

彼女の作品は「推し、燃ゆ」に続いて2作目です。

相変わらず、独特の世界観を持っている作家さんだなと

感心しました。

ただストーリーは、瞬間湯沸かし器的な父、頭の壊れた母、うつのかんこの

3人が中心の

過激だがトーンが低く暗いダークな家族物語だったので

あまり私好みでは無くて

途中から、彼女の名文宇佐見フレーズを楽しむように読書しました。

そんな訳で、備忘録も兼ね

その名文、宇佐見フレーズをピックアップして

感想も付け加えてみました。

何か参考になると嬉しいです。

 



名文15ヶ所 選んでみました 

このブログは『くるまの娘』宇佐見りん著(河出書房新社)の文章を引用しています。

ネタバレを含む文章もあります

それでは、抜き出していきますね。

1⃣ P4

かんこは光を背負っている。背中をまるめた自分の突き出た背骨に、光と熱が集まるのを感じている。明るい血の色をしただった。

宇佐見りんさんの小説は体の部位体内の一部がよく出てくる。

生々しさと映像的なクローズアップが脳裏に焼き付きそうな文章です。

2⃣ P9

細かく震えるような風が屋根を包んでいた。表の坂道を、親子を乗せた自転車が過ぎて行った。親子連れが過ぎた後には、いつも高い子どもの声だけが、鈴の音のように残る。一緒にいるはずの親の声は低く、先に闇に溶けて聞こえなくなる。

こどもの声が鈴の音に表現され、声が闇に溶けて聞こえなくなる

宇佐見さんらしい世界観の描写だと感じました。

3⃣ P39(抜粋、省略しています)

そのなかにあって、車道に連なる光は火のように揺れて見える。薄墨色の山影と濃い鼠色の山影が重なる。黒い影だけがあたりをつつみ、何も見えなくなった。真っ黒だった。あの青い車がどこかへ走り去ってしまうのではないかと錯覚に陥った。

薄墨色、濃い鼠色、黒い影、真っ黒

同じような色を重ねることで、青い車が印象深く残っていきます。

4⃣ P41

あたりに湯の音が響き、天井や壁をはねかえって体を包む。目をつむったまま口をあけた。口に、あとからあとから湯が入り、閉じると母音の「イ」のかたちをした口の両端から漏れ出した。喉をならし、ひそかに飲む。鼻に抜ける湯あたたかな匂いが好きだった。

湯の音がはねかえって体を包む、

母音の「イ」のかたちの口

湯のあたたかな匂い

音がはねかえって体を包んだり、「イ」のかたちの口だったり

あたたかい匂いだったり、何か違和感を感じるけどそこが宇佐見ワールド

5⃣ P52

母の苦しみは方は蟻地獄に落ちる蟻のようだった。毎回新たな苦しみがわきでてくるのではなく、続く苦しみの中から這い出ては、またささいなきっかけで突き落とされているように、かんこには見えた。

苦しみを蟻地獄に例える宇佐見さんは、まさか経験しているとは思わないけど

いったい、彼女はどこでその感覚を知ったのか?

聞いてみたい、

 



6⃣ P75

「王冠?」かんこが訊くと無表情に頷いた。子どもはゼリーのような眼をしている。ときどきこの眼が恐ろしいと思う。

ゼリーの眼」が引っ掛かった。

7⃣ P80

飲みかけの日本酒があり、瓶の首をつかんで吐かせるように残りを捨てた

日本酒を「吐かせるように捨てた」と表現したのは宇佐見さんが初めてじゃないか?

8⃣ P83

喉の奥でがふくらむ。涙が出る。何の感慨もなく出る。湯が冷めかかり、体の熱目減りしていく。

熱がふくらむ。体の熱が目減りする。

熱を「見える化」させてる。

9⃣ P102

やがて、左右の目をつらぬくように、串が刺さっているイメージが離れなくなった。(中略)眼に刺さった串は抜けないで、脳をかきまわした。かんこはめざしだった。めざしは勉強をしなくてもいい。(中略)トマトになったり肉になったりめざしになって授業を受けた。

目に串が刺さっている表現。かなり過激だ。でも、めざしになっていた。

読者は宇佐見さんの「過激かわいい」に翻弄されている。

 P111

小さすぎる背中だった。日が照ると、父の影は濃く、大きくなる。だが雨が降ると、父は父の大きさに戻る。

父は父の大きさに戻る。

影がなくなる表現がなにげに独特。

⑪ P120

叫びは、喉ばかりでなく、見ひらかれたから、両耳から、髪の毛先から、ほとばしった

叫びが目や耳や髪からほとばしる。って初めて聞いた。

 



⑫ P131

曖昧になる。曖昧に、繰り返される。柔らかくぬるく、ありふれた地獄だった。(中略)

地獄の本質は続くこと、そのものだ。終わらないもの。繰り返されるもの。

ここでも地獄の表現

宇佐見さんの地獄のイメージがどうしてこうなったのか知りたいな。

彼女に一体何があったんだ。

 P140

あのとき、日がのぼるのが苦しかった。日が沈むのが苦しかった。苦しみを何かのせいにしないまま生きていくことすらできなかった。(中略)

そしてかんこは、車に住んだ。毎朝母の運転で学校へ行った。

タイトルの意味を知った瞬間。

ストンと落とされた感じが好きだ

 P156

誰かが突っ込まなかった交差点がある。(中略)何かが起こるか起こらないかの違いで、その気配は常に迫っているのに街はいやに平和に見える。むしろ突発的に起こる事件の気配まで含めて、平和そのものだった。

誰もが意識の中で感じている、「一寸先は闇」を

誰も不安を顔に出さずに生きている姿を見事に表現している。

 P157

横断歩道を人が悠々と通っている。父はアクセルを踏まない。誰も心中しない。道はを受け、春だった

怒涛のラストの最後の文章。

最初にもが出てきたが、最後にもが出てきたのは敢えてなのか。

最後の春だった。は宇佐見さんのとどめの一文。

 



作品紹介

ざくっとしたストーリーはこんな感じです。

父、母、子どもの3人という一見ステレオタイプな構成の家族にも、外からは見えない多面的な苦しさやその家庭固有の問題が存在する。

そんな現実を見出し、描き出したのが、小説『くるまの娘』だ。

物語の主人公は17歳の女性、かんこ。

真面目なのにときどき家族に暴力を振るったり暴言を吐いたりしてしまう父、脳梗塞で倒れてから感情のコントロールが利かなくなった母との3人暮らしだ。

兄と弟は、そんな家庭に嫌気がさし、気がついたら家から出ていっていた。

そんな家族が父方の祖母の死をきっかけに久しぶりに集まる。父の実家への長い道中、車中泊で旅をするのだが……。

引用:cinra

最後に著書紹介(詳しくは下記河出書房新社HPまで)

車で祖母の葬儀に向かう、17歳のかんこたち一家。
思い出の景色や、車中泊の密なる空気が、家族のままならなさの根源にあるものを引きずりだしていく。

宇佐見りんプロフィール

1999年生まれ。2019年、『かか』で文藝賞を受賞しデビュー。同作は史上最年少で三島由紀夫賞受賞。第二作『推し、燃ゆ』は21年1月、芥川賞を受賞。同作は現在、世界14か国/地域で翻訳が決定し、50万部を超えるベストセラーとなっている。

引用:河出書房新社

是非、宇佐見りんワールドを体感してみてください。

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