23年2月14日BS日テレ放送の
『ぶらぶら美術・博物館』夭逝の天才画家“佐伯祐三”展
〜傑作120点が一堂に!命を懸けた画業のすべて〜
東京ステーションギャラリーで開催中の「佐伯祐三」展へ!
鑑賞しました。
佐伯祐三は好きな画家の1人で
この番組を楽しみにしていました。
今回は番組の構成に沿って紹介された絵を
古書店で買った「アサヒグラフ」(1983年2月15日発行)の画集の絵で
追いかけながら
備忘録としてまとめていきたいと思います。
ぶらぶら美術・博物館「佐伯祐三」展の紹介作品
番組の総まとめが、ぶらぶら美術・博物館のHPに載っていましたので
この流れで作品を紹介していくこととしましょう。
自画像
まず最初に紹介されたのは
東京美術学校時代の自画像(右側1923年、左1924年)
なんでもできてしまう「器用で上手い画家」だった。
大学でもトップクラスの成績。
天才肌の画家だったようですね。
デッサンはずば抜けて上手かったようですね。
立てる自画像
パリに渡って絵を描いていくなかで
友人にフォービズムのブランマルクを紹介してもらい
自作絵を観てもらうが
「このアカデミック!」と全否定されてしまう。
そこから、自らの絵を模索し始めた頃の絵
立てる自画像(1924年)
(この絵だけがアサヒグラフには載せられていませんでした)
今までの自分の概念を叩き壊して
ここから新たな自分の絵を確立し始める。
コルドヌリ(靴屋)・ 壁
佐伯祐三らしさが出始めた絵
右:コルドヌリ(靴屋)1925年
左:壁 1925年
特徴である
正面性、壁の重厚感、書き文字
それらを表現し始めた絵画。
下落合風景 ・ 滞船
ようやく独自の絵が描けるようになってきたが
体調面(結核の状態)も良くなく、兄に日本へ帰国させらされる。
それから日本で制作する絵にも特徴が表れていた。
下落合風景 1926年(右、左とも)
滞船(右側1926年)
電柱やマスト等、縦の線(垂直線)にこだわりがあることが特徴的
ガス灯と広告 ・ モランの寺
病を押してでも、佐伯はパリへ戻ってきて
再び制作を始める。
自らの死期を感じているがごとく
猛烈なスピードで絵を仕上げていく。
それは1日に1枚以上の制作になっていきます。
その頃に描いた絵が
左側:ガス灯と広告(1927年)
右側:新聞屋(1927年)
モランの寺(1928年)3作品とも
この絵も確か紹介されたと思います。
郵便配達夫 ・ 扉
病であるにもかかわらず、雨の中でも制作する佐伯。
当然、病は悪化をたどっていく。
そして、30歳にして亡くなってしまうのですが
亡くなる前の代表的は作品として
右側:郵便配達夫(1928年)
左側:ロシアの少女(1928年)
結核の病で臥せっているいる人が描いた絵とは思えない
力強さを感じます。
そして、最後に紹介されたのが
左側:扉(1928年)でした。
少し扉が開いていて
その向こうに佐伯は次の世界を見ていたのではないかと。
やり切った感と無念さとが滲む絵にも見えました。
佐伯祐三展、ぶらぶら美術・博物館情報まとめ
最後に展覧会の情報とぶらぶら美術・博物館情報まとめておきます。
「佐伯祐三 自画像としての風景」ホームページ
東京会場:東京ステーションギャラリー 23年4月2日まで ホームページ
大阪会場:大阪中之島美術館 23年4月15日~6月25日まで ホームページ
ぶらぶら美術・博物館 ホームページ
🚩火曜は #ぶら美 の日🚩
— 【ぶらぶら美術・博物館】公式【BS日テレ】 (@Bura_Bi) February 14, 2023
今夜8時は
東京ステーションギャラリー
夭逝の天才画家“佐伯祐三”展へ
1920年代、病をおして渡仏
30歳という若さで亡くなった佐伯祐三
伝説の天才画家がパリで味わった挫折と
命をかけた画業のすべて
是非ご覧下さい✨https://t.co/YR7ltZn2tD#ぶら美#Bura_Bi pic.twitter.com/IWa6zly8Jt
YouTube
画集をスマホ写真で撮ったので見ずらかったと思います。
大変失礼致しました。
でもそれが個人ブログの面白さかなとも思っています。
私は大阪在住なので、大阪中之島美術館の開催を楽しみにしています。
最後まで御覧頂きありがとうございました。
大阪中之島美術館「佐伯祐三 ー 自画像としての風景」展を鑑賞
23年5月4日に「佐伯祐三 ー 自画像としての風景」展を大阪中之島美術館にて
鑑賞してきました。
140点の作品を鑑賞でき大変満足しています。
少し違った角度からブログまとめてみました。
よかったら覗いてみてください。(^^)
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