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『推し、燃ゆ』宇佐見りん著【名文13ヶ所】選んでみました

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読後、唸った。

うまい。

何がうまいって、言葉の巧みさや文章表現である。

今回はその言葉、文章のうまさに注目して

ランダムに13か所程選んでみました。

作品概要

<作品の内容>

『推し、燃ゆ』は簡単に言ってしまえば、ままならない現実を生きる女性がアイドルに夢中になり、けれどもそのアイドルが暴行事件を起こして引退を決めてしまい、心の拠り所の喪失に直面する様を描く物語である。

 応援している、好きな――という言葉では十分ではないが、便宜上――アイドルやキャラクターを、多くのオタクは「推し」と言う。主人公には「推し」がいる。「推し」は彼女の生活の支え、彼女の言葉で言えば「背骨」である。主人公・あかりは言っている。

引用:Web河出

<著者 宇佐見りん 紹介>

1999年生まれ。2019年、『かか』で文藝賞を受賞しデビュー。

同作は史上最年少で三島由紀夫賞受賞。第二作『推し、燃ゆ』は21年1月、芥川賞を受賞。同作は現在、世界14か国/地域で翻訳が決定している

引用:河出書房新社

若干22歳~23歳で書かれたんですね。

しかも、『かか』に続く2作目で芥川賞。

小説家としての抜群の才能を感じた作品でした。

名文13ヶ所程選んでみました

※以下引用文は全て『推し、燃ゆ』宇佐見りん著からです。

P3

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。

冒頭の一説である。

いきなり、タイトルが出てきて、印象に残ります。

これだけでは意味は分からないが、Z世代であれば連想はできるのかもしれない。

P10

長いこと切っていない足の爪にかさついた疲労が引っ掛かる。外から聞こえるキャッチボールの音がかすかに耳を打つ。音が聞こえるたびに意識が1.5センチづつ浮き上がる

5月の体育祭の予行演習を休んで、手足を眺めているシーンなんだけど

今のあかり(主人公)のけだるさや、心の不安定さがじんわり伝わってくる。

P38

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活がままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

P39

何かしら苦行、みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落とされて、背骨だけになっていく。

あかりの推し(上野真幸)を推す本質的な文章。

この文章は重要で、色々なところで「背骨」がキーの言葉になっていきます。

P68

中古で売られている推しのグッズを見るのがつらいのでなるべく迎い入れるようにし、沖縄や岡山から届いた団ボール箱から取り出した古い缶バッチやブロマイドの埃を丁寧にぬぐい、部屋の棚に飾る。

この文章を読んだ時、ここまでするかと。

彼女の推しに対する一途な想いと愛情、本気さがひしひしと伝わってきた。

P70

自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。(中略)そのことが自分を浄化するようなことがある。(中略)そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。

彼女は学校の勉強ができずに中退に追い込まれ、

発達障害?なる病気とも診断され、

家族からも叱責やあきらめのような態度や言葉をされるようになっていたので

自分自身を奮い立たせる意味でも推しの存在に依存していったことを感じた。

P76

自分で自分を支配するには気力がいる。(中略)電車の座席に座っている人達が乗っかって移動させられるほうがずっと楽。あれはきっと、「移動している」っていう安心感に包まれているからだと思う。自分から動かなくったて自分はちゃんと動いているという安堵・・・。

あれがもし自分の家のソファだったら、(中略)日が翳っていくのにかかった時間のぶんだけ心の中に黒っぽい焦りがつのっていく。何もしないでいることが何かをするよりもつらいということが、あるのだと思う。

電車のなかに乗って「移動している」という行動を

何かしている安堵感に例えてることに

宇佐見りん氏の心の観察力の凄さをみた気がした。

P108

とにかくあたしは身を削って注ぎ込むしかない、と思った。推すことはあたしの生きる手立てだった。業だった。最後のライブは今あたしが持つすべてをささげようと決めた。

彼女は推すことを「業」と言ってのけた。

半端さは感じないし、覚悟も感じられる。

学業はできないけれど、大好きなことには命をかけてもやり抜こうとする。

彼女の最大の利点がそこにあるし、

この小説の光でもあると感じました。

P111~112

終わるのだ、と思う。

四方を囲むトイレの壁があわただしい外の世界からあたしを切り取っている。先程の興奮で痙攣するように蠢いていた内臓がひとつづつ凍りついていき、背骨までそれが浸透してくると、やめてくれ、と思った。(中略)あたしから背骨を奪わないでくれ。生きていけなくなる。あたしはあたしをあたしだと認められなくなる。冷や汗のような涙が流れていた。同時に、間抜けな音をたてて尿がこぼれ落ちる。さみしかった。耐えがたいさみしさに膝が震えた。

推しのいない人生は余生だった。

推しのラストライブ途中休憩でのトイレの中。

彼女の推しに対する惜別の心の動き。

その激しさと身を削られるような寂しさが描かれているが

びっくりするのは、放尿の描写を入れ込んで

涙と尿という対比というそのおかしさと

現実に引き戻そうとするその発想が凄い。

P121

あたしを明確に傷つけたのは、彼女が抱えていた洗濯物だった。あたしの部屋にある大量のファイルや、写真や、CDや、必死になって集めてきた大量のものよりも、たった1枚のシャツが、一足の靴下が一人の人間の現在を感じさせる。

引退した推しのマンションにたどり着いて

外から洗濯物を干す女性の姿(推しの部屋かどうかはわからない)を見て、

現実とあきらめを感じる瞬間。

シンプルだけど見事な表現だと感じた。

P123

生きていたら老廃物のように溜まっていった。生きていたら、あたしの家が壊れていった

P124

プラスチックケースが音を立てて転がり、綿棒が散らばった。

これだけ読んでもわからないと思いますが

最後、怒涛のように彼女の心の中で

推しとの別れを葛藤する描写が書かれています。

P125

這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。

二足歩行は向いていなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。

この小説ラストの一文です。

何気に通り過ぎてしまう文章ですが

綿棒を拾い集めようとする、

四つん這いの姿勢と二足歩行の通常の姿勢との違い

彼女の落胆や放心状態を表現していると感じました。

また、生活の身近な用品を使う事で、

主人公の等身大の姿をつなぎ留め、見せているところもにくいですね。

もう、いちいち、表現の仕方、言葉の選択発想に感嘆しました。

見事でした。

最後に

推しを推すあかりの姿がリアルに表現されていましたね。

著者の宇佐見りんさんも同じような経験をしていたらしく

その経験が違和感を無くしていたのかもしれません。

大人が読んでも理解できない世界かもしれませんが

高校生の彼女が上野真幸君を本気に追いかける姿は

ある意味、純真さがゆえの行動なのかもしれません。

彼女には欠点が多く見受けましたが

その反面、集中力や自分を見つめる冷静さも内容で感じました。

ひたすら、推しの話でしたが

最後まで飽きることなく読むことができました。

芥川賞納得です。

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