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大阪レトロビル【芝川ビル】と【芝川又右衛門邸】について|親子関係って知ってる?

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建物
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大阪淀屋橋にある『芝川ビル』と

現在、愛知県犬山市の『明治村』にある『芝川又右門邸』が

ビルオーナーが親子の関係であることを知って、

改めて興味を持ったのでまとめてみました。

芝川ビル

芝川ビルは大阪地下鉄御堂筋線淀屋橋駅から徒歩3~4分位の場所、

御堂筋より一本東の通りの角地に建っています。

※芝川ビルで貰ったリーフレット

<芝川ビル 概要>

所在地    大阪市中央区伏見町3-3-3
構造     鉄筋コンクリート造地上4階地下1階
延床面積    約1,626m²
竣工     昭和2年7月1日
設計     澁谷五郎(基本計画・構造設計)
       本間乙彦(意匠設計)
施工     竹中工務店
工費     25万円(当時)

引用:芝川ビルHP

 



『芝川ビル』を建てたのは芝川又四郎で、

父親が『芝川又右衛門邸』を建てた芝川又右衛門で、その次男でした。

芝川ビルを建てた芝川家と伏見町の関わりは、

「大阪百足屋」という呉服屋を営んでいた祖父芝川新助が、

江戸時代に伏見町に移り、唐物商を始め、豪商と知られるようになったそうです。

1923年の関東大震災で当時木造であった家屋が倒壊し

四代目当主、又四郎が「火事、地震に強い建物を」ということで

現在の芝川ビルを建てることになったそうです。

昭和2(1927)年、南米マヤ・インカの装飾を纏った芝川ビルが竣工します。

芝川ビルを建てた芝川又四郎は、かねてから店を不燃性の建物に建替えたいと思っていました。そんな折、大阪倶楽部において建築家の片岡安のスピーチを聞き、鉄筋コンクリートが耐震・耐火性に優れていることを知り、鉄筋コンクリートへの建て替えを決意したと言います。

こうして建設された芝川ビルは、耐震・耐火性に細心の注意が払われており、その意気込みは、現在も建物の随所に見ることができます。

引用:芝川ビルHP

それにしても、マヤ・インカ風の建物とは思い切ったデザインを採用したものです。

当時は海外でアール・デコが流行っていたそうですし

帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト設計)などの影響もあったのかもしれないそうです。

まあ、父親も建築には非常にユニークなものを建築していたので

その影響もあったのでしょうね。

現在は店舗や事務所が入居していますが

当時は花嫁学校「芝蘭社(しらんしゃ)家政学園」だったようです。

教育に関心を持っていた又四郎の意向で「芝蘭社家政学園」という花嫁学校として使われることになります。

「芝蘭社家政学園」では、又四郎の義妹の芝川まき(千島土地㈱、百又㈱ 現社長・芝川能一の祖母)が園長を務め、当時、帝塚山学院の学長であった庄野貞一(さだいち)氏を学監に迎えて、洋裁、和裁、習字、生け花、茶道、割烹など多彩な授業を開講する私学として、自由な構想で教育が行われました。

昭和4(1929)年の開校から昭和18(1943)年の閉校までに、関西一円の名門女学校を卒業した3,000人を超えるお嬢さんたち、いわゆる「いとはん」たちが学んだ「芝蘭社家政学園」は、現在の女子短大のはしりであったとも言われています。

引用:芝川ビルHP

いや~、使われ方もモダンですね~。

 



「芝川ビル」が『名建築で昼食を 大阪編』第2話で放送

22年8月17日からテレビ大阪(東京)にて放送が始まる『名建築で昼食を 大阪編』で

「芝川ビル」が第2話で紹介があるそうです。

今回は大阪の名建築を巡るドラマなので、全編楽しみです。

<追記>

『名建築で昼食を』大阪編 第2話(8月24日)で芝川ビル、番組ラインナップ。

ワクワクする。

ヴェトナム料理「RIVE GAUCHE」(リブゴーシュ)

『名建築で昼食を』で昼食を食べたのが地階(1階入口)のヴェトナム料理「RIVE GAUCHE」

写真を撮っていたので追記しておきます。

ファサード

非日常への扉が開きそうなファサードですね。

店内は、旧フランス領時代のベトナムを彷彿させる、開放感のある趣き。

「パリにあるベトナム料理店」というお店のコンセプトにふさわしい雰囲気です。

引用:ヴェトナム料理「RIVE GAUCHE」

 



芝川又右衛門邸

先日、愛知県犬山市の博物館『明治村』に行った際に

芝川又右門邸』を見学することができた。

この時はまだ、淀屋橋の『芝川ビル』とオーナーが親子関係であることは知らなかったのですが

その後、SNSで情報を知り驚いたところでした。

現在の兵庫県西宮市甲東園に建てられた、大阪の商人であった芝川又右衛門の別荘

設計者は当時の京都工等工芸学校の図案科で主任を務め、のちに京都帝国大学建築学科の創設者となる武田五一でした。
建物は木造2階建てのスペイン瓦葺き。1階は開放的なベランダに、外へ張り出したボウウィンドウを設けるなど洋風の造りになっています。

それとは対照的に2階は和風としつつも、 1、2階に一体感をもたせてまとめています。武田五一の設計による、和洋意匠を折衷した住宅の好例といえるでしょう。

引用:博物館 明治村HP

この建物も、関東大震災のあと火災を恐れてスパニッシュ風の外装にしたようです。

当時は耐火壁としてスパニッシュ風にする家屋が多かったようです。

その後も阪神淡路大震災の際に被害を受け、平成7年に解体し

平成10年に修復完成している。

そして、明治村には平成19年に移築されたようです。

この歴史だけ見てもこの建物は執念を感じますね。

建設年 明治44年(1911)
村内所在地 3丁目68番地
旧所在地 兵庫県西宮市上甲東園
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成20年(2008)
解体年 平成7年(1995)
移築年 平成19年(2007)

引用:博物館 明治村HP

この建物はヨーロッパのグラスゴー派やウィーンのゼッションと

日本の数寄屋風を融合された建物にしたそうです。

なぜか、建物の外観だけでなく、オーナーのこだわりも感じた建物でした。

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